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◯◯さま(引用箇所の出典について)

 投稿者:家主  投稿日:2016年 6月20日(月)20時47分55秒
  ◯◯さま
論創社さま経由でお手紙を転送していただきました。ありがとうございます。
弊著『里村欣三の旗』中の、菱刈隆文氏の名前を引用した箇所(P301)について、出典をお尋ねと思います。
この件につき、昨19日午後にご案内のアドレス宛にメールを送らせていただきました。ご確認お願いいたします。
もし不着、その他の状況でしたら再送させていただきますので、よろしくお願い致します。〈家主〉
 
 

ありがとうございます。

 投稿者:家主  投稿日:2016年 1月20日(水)06時26分54秒
  和田さま
ご案内の『新潮』2月号、読ませていただくようにします。
今、ネットで見ますと、『月刊毎日』は「国会図書館などの国内の資料保存機関には所蔵されず」との記事が見えます。作品に至るのは困難かと思いますが、探求書の一つに…、と思います。いつもご配慮、ご教示ありがとうございます。
昨日から急に冷え込んできました。ご自愛にてお過し下さい。
 

月刊毎日

 投稿者:和田  投稿日:2016年 1月19日(火)15時44分53秒
  ご無沙汰しております、三重大学の和田です。
既に新聞等で報じられているとおり、立教大学の石川巧さんが戦時中に北京で発行された『月刊毎日』を調査され、今月号の『新潮』に発見された巻号分の目次が掲載されています。
確認しましたら、創刊号に里村欣三の小説「美しき戦死」とありました。
詳細は『新潮』2月号の143頁をご参照ください。
 

「シベリヤに近く」の初出誌

 投稿者:家主  投稿日:2015年 1月 1日(木)17時39分33秒
  またまた秦先生の新発見です。
『戦争ニ対スル戦争』(昭和3年5月、南宋書院)や『日本プロレタリア文学集10 「文芸戦線」作家集1』(昭和60年11月、新日本出版社)に収載され、比較的よく知られている里村の作品「シベリヤに近く」は、従来初出誌が「不明」「未詳」とされていましたが、秦先生の調査・ご教示により、村松梢風が主催した雑誌『騒人』(騒人社)の昭和2年9月号(P34-42)に掲載されていたことが明らかになりました。
この作品は日本軍のシベリア出兵(大正7年8月~11年10月)に材をとったもので、作中の「N市」を仮にニコライエフスクだとすると、尼港事件(大正9年3~5月)のあった頃を描いている可能性もあるように思います。
里村欣三が徴兵を忌避し満州に逃亡した時期(第1回目)は、大正11年秋から同12年初夏と推定されますが、この頃のハルビンにはロシア革命から逃れた白系ロシア人(エミグラート)が多く在留し、ロシア革命とそれへの干渉であるシベリア出兵がハルビンにおいてもまだ生々しい形で実感されていた時代だったように思います。「シベリヤに近く」という題名が何を意味しているのか、やや曖昧なタイトルのように思いますが、ハルビンを流れる松花江はニコライエフスクに繋がるウスリー川の支流だということ等、地理的にもシベリア出兵が「近く」に実感された経験・体験があるのではないかと思います。
東支鉄道の要衝ハルビンをめぐるこの当時のロシア、中国、日本の関係は特に複雑だったようで、虚々実々の駆引きの記録『東支鉄道を中心とする露支勢力の消長』(国会図書館近代デジタルライブラリー)などを読むと、歴史は(人々の願望とは別=無関係に)何重にも紆余曲折をしつつ進展するという思いを強くします。一喜一憂も大事ですが、また別の複眼的な見方も必要かと思います。
秦先生、いつもありがとうございます。
 

里村欣三の処女作?「村男と組んだ日」

 投稿者:家主  投稿日:2014年12月13日(土)13時58分13秒
  中西伊之助研究会の秦先生から、極めて貴重な資料をいただきました。中西伊之助が理事長をしていた日本交通労働組合(=東京市電)の機関誌『交通労働』創刊号の部分複写です。東京市電ストライキが発生し中西伊之助が再検挙されたその当日=大正9年4月25日が印刷日、発行が上野公園の日本初のメーデー(5月2日)前日の同5月1日、まさに渦中のなかで発行された機関誌がこの『交通労働』創刊号です。
この号の中西伊之助の「小鉄道労働者」という2ページの短い作品は、1991年に藤沢市で発行された『中西伊之助追悼集準備号』にも収載されており、また作品の背景である奈良市の京終(きょうばて)駅を利用したことがある私には印象に残っている作品です。
ところがこの大渦中のなかで発行された日本交通労働組合の機関誌『交通労働』創刊号に、なんと里村欣三が本名の「前川二享」名で「村男と組んだ日」という5ページの小説を書いているのです。その資料を秦先生からいただきました。
「村男」は「むらお」という姓の市電運転手で、里村自身は「前享君」と呼ばれる車掌として登場します。偶然の語呂の一致だと思いますが、中西伊之助の「小鉄道労働者」でも主人公が「オイ村尾、お前のアスパンはゾンザイでいかんよ、……」と呼ばれています。

前川二享の本名で、里村欣三がこの『交通労働』創刊号に小説を書いている。このことから、
(1)従来、前年大正8年夏に故郷岡山県を出奔して以降、推測的に考えられていた里村の経歴が、大正9年4月の時点ですでに日本交通労働組合(東京市電)に所属し、同年4月25日からのストライキに参加していることが明確になった
(2)「『交通労働』はメーデーを以て生れた」という表紙裏の記述がある。里村欣三(前川二享)も日本初の上野公園メーデーに参加したことは疑われない
(3)執筆者の顔ぶれ(中西、原田實、佐々木専治、箕澤友三郎、武井栄、匂坂義太郎など)から、前川二享は組合本部(執行部)に近い位置(人間関係)にいたこと
(4)運転士ではなく、「前享君」と呼ばれる車掌として主人公「自分」が描写されており、少なくとも数ヶ月の勤務経験があるように書かれている
(5)同号掲載の別ページ「組合役員名簿」に前川二享の名前はない。従来からの「里村は青山支部所属の車掌」という推測は否定されず、武井栄との関係から十分成り立ち得る
(6)『文芸戦線』が大正13年6月に創刊されたその4年も前に、満18歳になったばかりの里村がこうした感受性豊かなプロレタリア文学作品を書いていた。里村は、何よりも作家として出発していたのだ。

「彼れを見下してゐる眼は勝誇つた様に冷酷な笑みを湛えてゐた。自分はかうした専横と惨虐を目前にみせ付けられてはどうしても黙つてゐることが出来なかつた。/『何故始末書を取るのです。』突然に自分は叫んだ」

里村の面目が躍如する文章が随所に見らる。関西中学時代の「土器のかけら」を習作とすれば、この「村男と組んだ日」こそ里村欣三の処女作といえるのではないだろうか。
秦先生、ありがとうございました。
 

ありがとうございます

 投稿者:前川圭史  投稿日:2014年 3月25日(火)12時23分12秒
  先日と言っても昨年ですが、本を送って頂き誠に有難うございました。
小生甥にあたりますが、S30年生まれのため亡父からしか氏の話は知りません。五大叔父さんや父六郎、叔母旭江もこの世におりません。

http://sofutoya.com/htdocs

 

ありがとうございました。

 投稿者:家主  投稿日:2013年 8月17日(土)22時27分12秒
  和田さま、こんばんは。お知らせ、ありがとうございます。わがホームページにアクセスしておりませんでした。お礼遅くなりました。お許し下さい。
『若草』の方の複写、今日さっそく国会図書館に依頼しましたが、巻号は17巻5号ではなく、発行日に対応して17巻7号が正しいとのことでしたので、それでお願いしました。「里村欣三ホームページ」の作品目録に追加し、更新させていただきました。ありがとうございました。
ご案内の「獺」(かわうそ)、初出不明で『光の方へ』発刊時の書き下ろしかと思っていました。厭戦気分というか、里村の反戦の気持ちがよく表れた秀作だと思っています。同じ情景描写が何度か出て来て十分な推敲をせずに発表したと思われるところもありますが、将来もし里村の作品集を作るなら収載したい作品で、先日、個人的にテキスト入力を済ませたところでした。
本筋と直接に関係ない箇所ですが、その若い中国女性が身を潜めたあやめの池を「そんな風景を、彼は學生時代に或る古い城下町へ旅行した時に見たことがあつた。」と言っています。私の勝手な推測ですが、この箇所は、関中ストに敗北した頃に福山あたりを放浪した時の記憶で、私から見ると、戦場にいる自己を学生時代からのひと続きの存在として(無意識のうちに)振り返っているような気がします。
国会図書館に複写をお願いしたついでに、中本弥三郎「葉山・黒島・里村の思ひ出」(『文学雑誌』昭和22年9月号)の複写をお願いしました。中本氏の作品は未読ですが、昭和6-7年頃『プロレタリア新浪漫派』というガリ版刷りの雑誌を大阪府北河内郡枚方町あたりでやっておられた方かと思います。今の枚方市は相当変貌し、関係者も居ないと思いますが、私の住居地に近いだけに気になる存在です。大阪府立図書館にも一部図書があるようです。関係者には高群逸枝、堀江末男などの名前が出ているように思います。ご教示いただけることがありましたらよろしくお願い致します。和田さまのおかげで、前向きな気分で複写請求ができました。
 

発表作品リストの遺漏

 投稿者:和田  投稿日:2013年 8月11日(日)16時29分31秒
  ご無沙汰しております、立命館の和田です。
先日、徳永直著作目録のため雑誌『若草』を調査しましたら、貴サイト「発表作品リスト」に掲載されてない分がございましたのでご報告いたします。
ご参考になれば幸いです。

里村欣三「獺」(『若草』17巻5号、1941年7月1日発行、21~27頁)
(※のち単行本『光の方へ』へ収録)

http://tokunagasunaonokai.org/

 

週刊読書人に『里村欣三の眼差し』案内記事

 投稿者:家主  投稿日:2013年 5月29日(水)21時29分38秒
  今週号(2013年5月24日、通巻2990号)の『週刊読書人』第8面、「編者から読者へ」欄に、里村欣三顕彰会(備前市日生町)会長・田原隆雄氏執筆の刊行案内記事が掲載されました。
画像にてご紹介しましたのでご覧ください(http://www.geocities.jp/satomurakinzou/syukandokusyojinkiji.html)。
里村欣三生誕百十年記念誌として2月末に吉備人出版から刊行された『里村欣三の眼差し』は、現在、国立国会図書館、岡山県立図書館、赤磐市立図書館、備前市立図書館、赤穂市立図書館、大阪府立図書館、大阪市立図書館、滋賀県立図書館、埼玉県立久喜図書館、東京都立図書館中央、高知県立図書館、横浜市立図書館、北九州市立中央図書館、早稲田大学中央図書館、大東文化大学図書館、和光大学図書館などに架蔵が確認されています。
これを期に、架蔵、普及が一層進んでほしいと思います。
 

里村欣三の眼差し

 投稿者:水谷修  投稿日:2013年 2月23日(土)09時31分3秒
  大家さん
『里村欣三の眼差し』お送りいただきありがとうございます。
早速、読み始めました。一気にすすみましたが、途中、休憩中、です。
読了して感想を書こうと思っていましたが、すみません。

とりいそぎ、お礼まで。
ありがとうございました。そして大家さんの研究があったからこそ、出版につながったと思います.ありがとうございます。
 

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